2017年1月5日木曜日

今年の抱負

あけましておめでとうございます。



今年の抱負は、とにかく、博士論文を書き終える。6月に指導教官に提出して、

7月には博士論文審査会に出す。審査落ちるかもしれないですが。



それも、ぎりぎり自分が納得いくような内容で。

妥協はしたくないです。先生方にはいろいろご助言はいただく

とは思うのですが、先生方を超えるぐらいの勢いでやらなくては。


すべては勢い。ここまで5年かかっていますが、初心はぶれていないです。

なんでこうなるんだろう、と疑問に思った現象はいまでも解決していない。


この年末年始、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』に取り組んで

いますが、読めば読むほどこの人は私と気が合う、という気がしています。


彼は私を裏切らない。


と思います。



12月24日の外国語教育質的研究会での研究発表は実り多いものでした。

修士の時からの自分とつながりがあって、ヴィゴツキー学協会にも

縁がある研究者の方々だし、英語教育に質的研究を入れようという

気持ちでつながっている。


そして忌憚なく、たくさん意見を言ってくださいました。ありがたいです。


現象学的アプローチ、エスノメソドロジー、会話分析という

パラダイムを統合しようとするのは無理ではないか、とあとから

いつもお世話になっている方が電話でも一時間近く熱心に言ってくださいました。



引用していた社会学者の方には、いくつか質問していただき、忙しい方なのに

お時間を無駄にしたのではないでしょうか、と声をかけると面白かった、

と言っていただいてほっとしました。まとめる時間がなくて、最後の解釈で

時間性と空間性というのを入れてぎりぎりなんとかレジュメを作ったのですが、

この概念をいれると何かいいことがあるんですか?と質問されて

この方らしい質問だな、と思いつつ、答えとしてはそれがもっと広がると思ったからです、

というのが精一杯でした。今でもこたえなければ行けない問いだと思っています。



そのあと、文学研究科の方が前からお話しておられた哲学の友人同士の

研究会に誘ってくださり、そこでも今回のレジュメをお見せすると

熱心に批判してくださいました。



焦点は、パラダイムの違うものをどういうふうに博士論文にするか、

ということでした。


4人の方のご意見は、

1.(教師の学びというテーマで博士論文を昨年完了された方)

  一つのパラダイムで博士論文を書くのも大変なのに、

  二つ以上のパラダイムで書くのは不可能、とりあえず博士論文を

  書くことに注力するべき。何を見たいのかをもっとつきつめるべき。
  
  今のままでは何が見たいのかがはっきりとわからない。
  
  エスノグラフィーではだめなのか。


2.(ほぼ私と研究の関心が近い方)
 
  研究動機を読むと現象学かと思うが、データの分析を読むと会話分析だと

  思う。現象学なら教師のあるいは生徒の経験だし。会話分析は、
 
  研究者の視点から授業を比較している。二つのパラダイムは統合できない。


3.(建築の視点で文学を研究している方)

  自分の研究でも二つのパラダイムで一つの対象を見ようとすることは

  ある。ただ、二つのパラダイムを止揚するのは難しいので、

  二つのパラダイムを出して、その差異を考察するということを
  
  すればどうだろう。それは面白いと思う。

4.(会話分析専門の研究者)

  自分は今現象学的に別のことを見たいが、現象学のアプローチに

  会話分析を入れることは意外とできると思う。


いやもうほんとうにありがたいです。


がんばります。

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