5月に発行された大阪大学大学院言語文化研究科のプロジェクトで、
談話とイデオロギーがテーマになっていたので、それについて論文を書くために
ポッドキャスト番組の談話を分析してきました。
それはまあ、英語教育政策に関連する語りの分析です。
談話とイデオロギーがテーマになっていたので、それについて論文を書くために
ポッドキャスト番組の談話を分析してきました。
それはまあ、英語教育政策に関連する語りの分析です。
その冊子も発行され、(こちらで読めます)
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/69905/gbkp_2017_s4_039.pdf
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/69905/gbkp_2017_s4_039.pdf
関西英語教育学会でも同様の番組の談話を別のテーマで分析して発表し、
9月の社会言語科学会のポスター発表でも同じ番組の別の部分の談話を分析する予定です。
計3回同じ番組の談話をもとに発表を積み重ねることになり、自分でも
イデオロギーについて追及する方が性に合っているのかな、と思い始めて
来ました。
が、師匠からヴィゴツキー学について、11月に発表するようにと引導を
渡されて、またまた激しく迷い、冒頭の文献を読んでいます。
読み始めると、そもそも、自分がなぜ大学院に行って英語教育を学問的に
勉強したいと思ったのか、という原点を改めて突きつけられています。
自分は、英語教育政策や、英語教師に関心があるのではなく、もともと、
子どもたちの気づきや、英語に限らず子どもたちが日常生活で接したこともない
異言語に遭遇して、それが彼ら彼女らの学びの道筋をどう変えていったのか、
というダイナミズムの魅力に惹かれているのだと思います。
だから、申し訳ないけれども、すでに大人になって日本に来ている留学生
を対象にする日本語教育にも興味はないし、今の日本の英語教育で求められている
ようなスキルとしての英語の能力を伸ばすことにもほんとうは興味がない。
子どもが言葉としての異文化に教室で接して、それまでの思い込みが
ひっくり返るようなそういう体験、経験をする出来事、というのは
どういうことなのか、ということを知りたいのだと思います。
改めてヴィゴツキーの文献を読み返したうえで、初心に戻って、11月には、
そういうことを発表できるように精進していきたいと思っています。
9月の社会言語科学会のポスター発表でも同じ番組の別の部分の談話を分析する予定です。
計3回同じ番組の談話をもとに発表を積み重ねることになり、自分でも
イデオロギーについて追及する方が性に合っているのかな、と思い始めて
来ました。
が、師匠からヴィゴツキー学について、11月に発表するようにと引導を
渡されて、またまた激しく迷い、冒頭の文献を読んでいます。
読み始めると、そもそも、自分がなぜ大学院に行って英語教育を学問的に
勉強したいと思ったのか、という原点を改めて突きつけられています。
自分は、英語教育政策や、英語教師に関心があるのではなく、もともと、
子どもたちの気づきや、英語に限らず子どもたちが日常生活で接したこともない
異言語に遭遇して、それが彼ら彼女らの学びの道筋をどう変えていったのか、
というダイナミズムの魅力に惹かれているのだと思います。
だから、申し訳ないけれども、すでに大人になって日本に来ている留学生
を対象にする日本語教育にも興味はないし、今の日本の英語教育で求められている
ようなスキルとしての英語の能力を伸ばすことにもほんとうは興味がない。
子どもが言葉としての異文化に教室で接して、それまでの思い込みが
ひっくり返るようなそういう体験、経験をする出来事、というのは
どういうことなのか、ということを知りたいのだと思います。
改めてヴィゴツキーの文献を読み返したうえで、初心に戻って、11月には、
そういうことを発表できるように精進していきたいと思っています。