この週末、首都大学東京で開催された、日本質的心理学会第14回大会に
参加してきました。大学名からして、都庁みたいなビルをなんとなく
イメージしていたのですが、東京の下町で、路面電車が走っている
ほっこりした緑の多い荒川区に位置している大学でした。
一日目の終りには、しつけんの勉強仲間とたまたま降りた日暮里で
これまた下町情緒あふれる谷中というところで、ほっこり地ビールと
美味しいご飯も食べられました。
この学会は修士時代はもちろん博士2年目までは、敷居が高く
縁遠いと思っていましたが、昨年の名古屋、今年と2年続けていくと
意外とのびのびとしていて、発表も玉石混交で、良くも悪くも
ゆるいんだなあ、ということがわかってきました。
質的研究の大御所ばかりでしかも心理学だし、授業談話みたいな
細々とした研究はそぐわない、とずっと思い込んでいましたが、
それはどうやら杞憂らしいというのが、発表経験者の話しから
見えてきたりして。
今日は2日目で、大会のメインイベントの細馬宏通さんと
いう研究者と詩人の谷川俊太郎さんの対談が午前中9時半から12時まで、
長時間でした。遅れに遅れて10時半に会場に入ったのですが、
それでもとても充実した時空間でした。これを企画してくださったことに
感謝。 司会の西村ユミさんと谷川さんの対談をネットで読んで
いたので、現象学的看護学の研究者と詩人という組み合わせにも
ある程度気構えがありました。細馬さんは前日のシンポジウムで会話分析系の
人だな、とわかっていたのですが、ものすごく谷川さんのファンらしく
谷川さんの詩もよく読み込んでおられたようで、質問も鋭く、
話の流れでこれ朗読お願いします、というタイミングも抜群で、
素晴らしい企画でした。
最近は、論文や学術書が読書のメインで、そのあいまに気晴らしに
テレビや軽い小説とか雑学という程度だったので、谷川さんの詩と朗読で
ことばの豊かさを味わう、という体験を久しぶりにゆったりとさせてもらい、
心がリラックスした感じでした。また、詩人がが自分の詩を読む、という
ことばとからだの一体感、というか臨場感というか、素晴らしかったです。
対談を聴きながら、夢中でびっしりとメモしていたのに、関西に帰って
荷物をばらすとそのメモをどこかで失くしてしまった、というのも
私らしい。。。。
2017年9月11日月曜日
2017年9月7日木曜日
書き起こし
このところ、前期と後期のあいまなので、非常勤の授業が
ないあいだに色々なことをしてしまおうと思っています。
去年の沖縄でのJALTPanSIGのf最終の校正が来たので、これで
英語で査読付きの論文が一本できそう、ということでほっと
しています。お金のことを考えるのはいやなんだけど、この短い
論文のために使った旅費と宿泊費、学会参加費、
エディテージに払った英文校正費、が全部私費でけっこう15万円ではくだらない。
そしてたぶんボランティアでされている査読者とエディターの尽力
を考えると申し訳ない。し、自分としては信念も哲学もあって、
でも論文に仕上げる実力がこれで精いっぱい。
英語でなんとか日本の中学校の英語授業の実践を書いたことが
どう何か英語教育全般の役に立つのか。
で、このところ今まで書いたちっちゃい論文とか、発表とか
読んだ哲学書のレジュメやメモを整理してなんとか博論に
しようともがいているうちに、「事象に立ち返る」という現象学の
原則を思い出して、ある文法授業のデータの書き起こしをここ数日
ずっとしています。
そうすると、初心にもどるというか、先生の授業の語りに生徒は
わずかしか音声では答えていないんだけど、なにかしら表情や
サインを読み取って先生はそれに答えながら授業を進めていく、
というインタラクションが、書き起こしていると、わずかな間や先生の
声の調子や強弱から見えてきます。
先生一人でいるようでいて、そうではない、すごくリズムと
なんともいえない生徒との親密な信頼感のある時空間。
書き起こしながら、それに研究者として暴力的に介入して
いることのうしろめたさもあり、でもこういう授業を教師をこころざす
人と共有することは大事なのではないか、と改めて思った次第
でした。
がんばります。
ないあいだに色々なことをしてしまおうと思っています。
去年の沖縄でのJALTPanSIGのf最終の校正が来たので、これで
英語で査読付きの論文が一本できそう、ということでほっと
しています。お金のことを考えるのはいやなんだけど、この短い
論文のために使った旅費と宿泊費、学会参加費、
エディテージに払った英文校正費、が全部私費でけっこう15万円ではくだらない。
そしてたぶんボランティアでされている査読者とエディターの尽力
を考えると申し訳ない。し、自分としては信念も哲学もあって、
でも論文に仕上げる実力がこれで精いっぱい。
英語でなんとか日本の中学校の英語授業の実践を書いたことが
どう何か英語教育全般の役に立つのか。
で、このところ今まで書いたちっちゃい論文とか、発表とか
読んだ哲学書のレジュメやメモを整理してなんとか博論に
しようともがいているうちに、「事象に立ち返る」という現象学の
原則を思い出して、ある文法授業のデータの書き起こしをここ数日
ずっとしています。
そうすると、初心にもどるというか、先生の授業の語りに生徒は
わずかしか音声では答えていないんだけど、なにかしら表情や
サインを読み取って先生はそれに答えながら授業を進めていく、
というインタラクションが、書き起こしていると、わずかな間や先生の
声の調子や強弱から見えてきます。
先生一人でいるようでいて、そうではない、すごくリズムと
なんともいえない生徒との親密な信頼感のある時空間。
書き起こしながら、それに研究者として暴力的に介入して
いることのうしろめたさもあり、でもこういう授業を教師をこころざす
人と共有することは大事なのではないか、と改めて思った次第
でした。
がんばります。
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